かつて子規や漱石も歩いた遊郭街【道後温泉 宝厳寺】

ガイドブックに載っていない
松山道後の違った楽しみ方
『道後温泉(裏)観光ガイド』。

第1回目は明治時代より、

「松ヶ枝遊郭(まつがえゆうかく)」として賑わっていた
「宝厳寺(ほうごんじ)」前の通りです。

いきなりアングラな
話からのスタートです。

「遊郭街」とは
女郎屋が集まった地域のこと。

女郎屋というのは
その、つまり…
自分で調べてね。

昔、遊郭街は
色里(いろざと)と呼ばれ、

現在の道後多幸町「歌舞伎通り」の
性風俗ストリートが、
かつては宝厳寺前にあったということです。


(↑道後多幸町歌舞伎通り入口)


(現在の宝厳寺前通り、通称「上人坂」)

夏目漱石も小説『坊っちゃん』の中で
「山門の中に色町があるなんて、

これまでに聞いたことがない現象だ」
と紹介しているし、

正岡子規も夏目漱石と共にここを訪れた際、
「色里や十歩はなれて秋の風」

と詠んでおり、境内に
その句碑が設置されています。

現代風に直すと
「風俗で一発抜いて秋の空」
みたいなところでしょうか。

ちなみに二人で吟行で訪れた
という記録のみで
色里で遊んだわけでは
ないかもしれません。

でも子規も漱石も男ですから、ね。

この通りは、昭和33年、
売春防止法の施工を経て
「ネオン坂歓楽街」と名を変え、

ちょんの間街として色町の歴史を
途切れることなく継承してきましたが、

2007年までは残っていた
当時のままの遊郭の建物

「朝日楼」が壊されて以降、
一気に「ネオン坂」は衰退。


(↑右が在りし日の朝日楼)


(←2007年撤去)

ワイドショーなどのコメンターとして知られる
勝谷誠彦氏の著書


『色街を呑む! ―日本列島レトロ紀行』
(祥伝社文庫)で潜入レポしている
バーすらも、今はもうない。

※勝谷氏は2018年11月28日お亡くなりになりました。
心より悔やみを申し上げます。

愛媛県松山市出身の
吉本芸人・友近も、

幼少の頃
よく道後に来ていたそうで、

「ネオン坂」の思い出を
テレビなどで語っていました。

現在唯一、色里の風情を残す建物が
「上人坂」上り口にある
交差点脇のこの家屋。

消滅しつつある色町の残り香を
今のうちに嗅いでおきたいものです。

【おまけ】

「宝厳寺(ほうごんじ)」に関しては
どのガイドブックにも書かれているため
説明を省きましたが、

2011年11月14日
宝厳寺で撮った写真が
手元に残っているので
掲載しておきましょう。
今とは違う当時の本殿と境内です。

そして、2018年現在宝厳寺と周辺は
どのようになっているか見てみましょう。

↓湯月町の標識より。

↓「上人坂」より「宝厳寺」を望む。

↓「宝厳寺」石段前。

↓「宝厳寺」山門前より松山城を望む。

↓「宝厳寺」山門。

↓山門より松山城。

↓現在の「宝厳寺」境内

↓「宝厳寺」説明板

↓現在の「宝厳寺」本堂。

↓現在の「宝厳寺」本堂と一遍上人堂(左)。

↓平成16年度までに「上人坂」交差点を拡げると発表した松山市の記事

↓平成29年度まだ工事は実施されていない。

事業費4600万円はどこへ?

▼ちなみに平成30年(2018年)3月31日現在。
角の建物は撤去されましたが
交差点の拡張にはなっていません。

▼平成31年(2019年)4月18日現在。
ようやく路面が舗装されましたが
相変わらず車は通れないまま。

計画から15年かかって交差点の拡張工事は
たったこれだけしか進んでないのです。

さすが「お役所仕事」!
と揶揄されても仕方ないですね。

複雑な事情があるのでしょうが、
延期になっている事情だけでも
説明してもらいたいものです。

▼2018年3月31日現在
桜の宝厳寺。

▼2019年3月31日現在
桜の宝厳寺。

▼「宝厳寺」での子規と漱石 (松山市出身・夏井いつきさん)

次回は『お菓子の神様とミステリーな石段【道後温泉 冠山】』です。