大蛇が祀られた神社【道後公園 岩崎神社】

『道後温泉(裏)観光ガイド』
第3回目は、道後公園内にある
「岩崎神社」へご案内しましょう。

道後公園は、
道後温泉本館のすぐ近くにある
愛媛県立の都市公園です。

公園全体が、
中世に存在した

「湯築城(ゆづきじょう)」
という遺跡であり、


(外堀)

外周はお堀で囲まれ、
見張りやぐらがあったであろう
丘を取り巻くように

内堀が巡っていて
緑と水の公園として親しまれています。


(内堀)

そう、中世の城郭というのは、
近世の城郭と違って、

石垣とかお城の象徴でもある
「天守閣」といったような

立派な建造物は
なかったんですね。

いわゆる「山城」と呼ばれ、
自然の山を削り、

区画や防御のための
土手を盛り固めて、

その中の平坦地に
居を構えていただけの
ものなのです。


(道後公園のジオラマ)

湯築城(ゆづきじょう)跡は
道後公園全体にわたる
中世の山城の
遺跡なんですね。

この公園は、桜の名所でもあり、
松山地方気象台の
ソメイヨシノの標本木もあって、

春には多くの
花見客で賑わいます。

1988年4月、
伊予郡砥部町に移転するまで、

ここには愛媛県立の
動物園がありました。


(昔の道後動物園入口)

「湯築城資料館」がある
この入口辺りに
動物園の入り口があったんですよ。


(公園内南側、入館無料の湯築城資料館)


(当時の武家屋敷を復元した展示物)

現在は武家屋敷や
土塀を復元して

文化財を生かした
公園として整備されています。


(伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ))

地元民にもあまり
知られていませんが、

「湯築城」が築城されるはるか昔、
この丘には

「伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)」
がありました。

神話の昔、
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、
神功皇后(じんぐうこうごう)が
道後温泉に来られた時、

この丘に沙庭(さにわ) を
立てたそうです。

沙庭(さにわ)とは
神を招いて、
お告げを聞く清浄な場所のこと。

それが起源となり、
沙庭神社(さにわじんじゃ)、

→「伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)」
になったと言われています。

のちに「湯築城」が築城される際、
「伊佐爾波神社」は

現在地である
石段の上へ移築されました。

「伊佐爾波神社」を移築したあと、
城の庭の池のほとりに
祠を建てたのが、
現在も残る「岩崎神社」。

神社が庭の端にあるから
「庭先神社」、

これがなまって
「岩崎神社」となったようです。

ほんまかいな。


(岩崎神社の鳥居)


(岩崎神社)

伝説によると、
この祠のあった場所には、
昔「龍(大蛇)」が住んでいて、

その蛇は、ここから
道後姫塚の「義安寺(ぎあんじ)」
までの長さの巨大な蛇だったとか。


右手が北 (岩崎神社と義安寺(ぎあんじ)の位置関係)

地図上で測ってみると
約250 メートル!

村人が何人も
飲み込まれたため

神社を建立し、
蛇が暴れないように
祈願したものだそうです。

やがて大蛇は
おとなしくなり
村は平和になったとか。

説明板によると、
今でもこの蛇は

「ミィさん、ミィさん」
と呼ばれ
親しまれているそうです。

それは干支で
蛇のことを
巳(み)と言うので、

もしかしたら
「巳さん、巳さん」
ということなのかも
しれません。

勝手な解釈だけど…。


(岩崎神社の祭神)

祭神の「小千命(おちのみこと)」は、
その名前の前に

「白人明神(しらびとみょうじん)」 
と書かれてあります。

実は小千命(おちのみこと)は
「白蛇」とも
言われていることから、

祀られているのは
もともと本物の大蛇
ではないのかも
しれませんね。

そもそも、
大蛇のいない日本で
大蛇伝説が多いのは
なぜだと思います? 

農耕民族である
我々にとって、

蛇は穀物を食い荒らす
ネズミを駆除してくれる
益獣であり、

家に青大将という
蛇が住み着くと

その家は栄える
と言われてました。

ですから昔から日本では
蛇は「蛇神(へびがみ)」
と呼ばれ敬われる

神の化身のような
存在だったのです。

ただ、ネズミやウサギまで
丸呑みにしてしまったり、

マムシなど毒がある
蛇もいることから、

巨大な蛇は
恐怖の対象に
なったのだと思います。

神格化された蛇と、
恐怖のイメージである

蛇が混じりあったものが、
大蛇伝説のはじまりだった
と推察できるわけです。

さて、「湯築城」は
日本100 名城にも
選ばれています。

しかし、先ほども
お話したように、

石垣や天守閣などは
もともと存在しないので

勘違いして
ガッカリしないように
注意してくださいね。

あのタモリさんが
NHK 『ブラタモリ』で
言っていたように、

温泉が湧くすぐ近くにある城
という点が、

日本一「戦う気」を
感じさせないという意味で、
珍しい城跡かもしれません。


(見張りやぐらの代わりに展望台がある)


(展望台から望む松山城

天気がよければ松山城のお城山のすぐ右隣に
TOKIOのダッシュ島も小さく見えます。

↓これですね。

【おまけ】

道後公園(湯築城跡)の
外堀の西側には、
樹齢300年近い、

赤穂浪士ゆかりの
大きなハゼの木があります。

この木には
こんなエピソードがあります。

赤穂浪士47人のうち、
大高源吾、木村岡右衛門の
切腹を介錯した
宮原久太夫が、

松山藩主、
松平定直公の許しを得て、

松山市の興聖寺(こうしょうじ)に
二人の墓を建立し、
供養したそうです。

後にこのことを知った
播州赤穂の人々は、

赤穂の特産の
ハゼの苗木を贈り、

感謝の気持ちを
表したといわれています。

いろんな
やさしい思いの
こもった木、なんですね。

その思いは
こんなに
大きく育っています。

道後から宇和島方面に行くなら

道後から宇和島方面
への往復は、

松山市駅や
JR 松山駅まで行かなくても、

この宇和島バス営業所を
利用すれば便利です。

宇和島以南の
御荘・城辺まで行きます。

なお、このバスは
松山市内の大街道や
松山市駅にも停車します。

しかし、ここ道後が
始発点になるため、

席確保のため
わざわざここまで来て
乗る人もいるそうです。

愛媛の西南地域は
「四国西予ジオパーク」に認定され、

リアス式海岸・盆地・河成段丘・
カルスト台地など

多様な地形が存在する
景勝スポットです。

また古い町並みの内子・大洲など
知られざる観光スポットを
お探しの方は、

訪ねてみることを
オススメします。

次回は『福山雅治も引いた恋みくじ』です。